牧野野菜、はじまりの場所
高知市中心部、鏡川の南岸に位置する潮江(うしおえ)地区は、絶滅したとされた土佐伝統野菜が奇跡の復活をなし遂げた「牧野野菜」のはじまりの場所です。
土佐伝統野菜、復活までの軌跡
潮江菜復活の立役者となったのは、潮江地区で代々農家を営む熊澤秀治さん。
1990年代、代々続く葉野菜農家を継いだばかりの22歳の頃、当時高知新聞に連載されていた宮尾登美子さんのエッセーを偶然読んだことが重要なきっかけとなりました。そのエッセーには「土佐の雑煮」という一文があり、
土佐の雑煮は角もち、青菜、里芋、すまし仕立て。そして、青菜はウシオエカブでなければならない
と書かれていたのです。
この時はじめて「潮江」の名前が付いた土佐伝統野菜の存在を知ることになる熊澤さん。これを期に「いつかは地元で栽培されていた野菜を育てたい」という思いを抱くようになったものの、情報は少なく手つかずのまま、35年もの間ただ月日だけが流れていきました。
牧野博士から受け継いだバトン
機会は、偶然により急に訪れることになります。
土佐伝統野菜の復活に欠かせないもう一人のキーパーソンが、高知県出身で世界的な植物学者、牧野富太郎博士。
牧野博士は、生前に弟子の竹田功さんへ「高知の在来野菜の調査と保存」を命じていました。以降、高知県立幡多農業高校教諭となった竹田さんは、教え子たちと高知在来野菜の種の標本採取・調査を行います。戦後間もない頃から大切に保存し続けたその種は、功さん亡き後もご長男に受け継がれていたのです。
潮江地区で精力的に活動していた熊澤さん。たまたま地元誌に掲載されていた紹介記事を目にし、種を託せると確信したご長男から連絡が届くことになります。
土佐伝統野菜の未来を託された熊澤さんは、大切に守られてきた潮江菜を含む約50種類もの種を受け取り、復活させることを決意します。そして2014年、牧野博士の意思を継いだその種は、長い時を経て熊澤さんの畑で芽吹くのです。
誕生「牧野野菜」
復活を遂げた土佐伝統野菜は、種の保存に尽力した牧野博士の名にちなみ、新たに「牧野野菜」と命名されました。
そして、牧野野菜の存続や普及に協力する農家や野菜ソムリエ、行政職員らと共に「Team Makino」が結成され、採種やイベント開催、商品開発などの取り組みが本格的に始動することになります。
「はじめて食べた時、美味しくてびっくりしました。食べると先人たちが大切に残してきた理由がわかります。味が濃いので、お鍋にいれると強烈にうまい出汁が出るんですよ」
代表となった熊澤さんは牧野野菜の魅力をこう語ります。
そしてバトンを未来へ
高知市の教育推進員も務めている熊澤さん、2017年から食育活動の支援として潮江東小学校の児童とともに潮江菜の栽培もスタート。潮江菜の学習を通して、伝統野菜、郷土料理、地域の歴史に関心をもち、地域への愛着を深めることを目的として取り組んでいます。
江戸のその昔から令和へ、時代を超えて高知の人が大切に守り続けてきた牧野野菜。先人たちの想いを繋ぎ、次の時代へバトンを繋ぐ架け橋のひとつとして当館もその魅力を発信し続けていきます。